転がり軸受の振動診断 —
公開データと自前実装で作る「2層防御」の異常検知

CWRU Bearing Data(人工欠陥・正解既知)で手法を固定し、NASA IMS Bearing Dataset (run-to-failure)に適用して検出器を設計・評価したケーススタディ。信号処理のコア数学 (FFT・Welch PSD・Hilbert 変換・時間領域指標)はすべて src/lib/ に自前実装し、 scipy/numpy と突き合わせて検証した。2026-07 制作。

① 成果

3.03日
事後定義の評価基準時刻(RMS 5×基準、 6.74日)までのリードタイム(警報確定 3.708日)。lookahead なしの因果版で 2.99日
誤報 0件(開発区間)
開発に使用した Set2 の健全軸受 2本×6.8日で観測された誤報0件(2層合成・条件全体に3点確定・全4ch比較)。合成の定義に よっては後期4件が残る(本文に開示)。独立 run での転移テストは⑤参照
236 Hz 固定 288/288
4.5≤day<6.5 の有効288点すべてで 包絡線ピークが事前計算の BPFO に一致し、公開ラベルの外輪損傷と整合(BPFO を事前アンカーに 使うため独立診断ではない)
照合 rel ≤ 4×10⁻¹³
自前実装(DFT/FFT/Hann/Welch/ Hilbert/RMS/尖度/波高率)を規約明示で scipy/numpy と照合(手法別: FFT系 ~10⁻¹⁶、 素朴DFT ~10⁻¹³)

副産物として、検証プロセス自体が ベンチマークのラベルとシグネチャの不一致1件公式Readmeとデータ実体の食い違い3件を検出した。

但し書き(この数字を引用する場合は必ず添える): リードタイム 3.03日は事後選定帯域(lookahead)による上限値であり、基準時刻(6.74日)は 実故障時刻ではなく事後定義した評価基準(定義変更込みで開示済み)。10分毎1秒の間欠観測のため 真の劣化開始より保守的。run-to-failure 1本(n=1)の結果であり一般化には追試を要する。 警報は「振幅ゲート×周波数ロック」の複合判定で、帰属には全チャンネル比較を伴う。

② パイプラインと技術的選択

Stage内容核となる技術的選択
C0観測設計とデータ検分故障特徴周波数(BPFO 236.4Hz 等)をデータを見る前に幾何から手計算し予想値とする。検算則 BPFO+BPFI=Z·fr ほか
C1時間領域指標(RMS・尖度・波高率)定義規約(平均除去・Pearson・1/N)を実装前に明示 → scipy と rel=0 一致
C2DFT/FFT・リーケージ・Welch PSDセグメント長 2048 は Hann 主葉幅×BPFO/BPFI 間隔から導出。fs の矛盾(20k vs 20.48k)を櫛の間隔実測で決着
C3エンベロープ解析(Hilbert)正解既知の CWRU で known-answer test。帯域選定は PSD 比最大の手続きに固定(自由度の事前封鎖)
C4IMS run-to-failure へ適用回顧帯域(上限)と因果帯域(因果的な帯域尖度スキャン+中央値5)の2本立てで lookahead を開示
C5しきい値設計と評価運用曲線(リードタイム vs 誤報)+誤報の時刻内訳+kσ較正。FLI-v2 と max-channel 規則の2層防御を検証
C1 trend
C1: Set2 全期間の時間領域指標。教科書の「尖度が先・RMSが後」はこのデータでは 逆順(RMS 3.70日 vs 尖度 4.79日)。B3(緑)は全期間最も衝撃的だが壊れていない。
C2 spectra
C2: B1 の3時点 Welch PSD。day 5.0 に 3〜6.5kHz の共振帯へ 236Hz 間隔の櫛が成長。 櫛の間隔が fs=20.48kHz 採用を確定させた(すべり 0.17%)。
C3 CWRU
C3: CWRU known-answer test。内輪は主線 −0.31% + ±fr 側帯(荷重域変調の 幾何モデルと整合)。外輪は +0.20%・線/床105。玉はラベルに反しシグネチャ不在(→④主張1)。
C4 trend
C4: エンベロープ BPFO 線トレンド。3.69日を境に窓内ピークが 236Hz に固定される (中段)。この変化が検出と診断の両方の根拠になる。
C5 curves
C5: 運用曲線。しきい値 k はリードタイムと誤報率の交換レートであり、 1点の検出時刻報告では性能を主張できない。

③ 学習の過程 — 外れた予想も記録する

各ステージで「測る前に予想を立ててから測る」を徹底した。事前の予想・仮説は 15件で、的中4・外れ11(うち2件はエージェント側の誤りを学習者が計算で正したもの)。 外れた予想は、原因の分析を通じて理解の修正につながった。

事前の予想(測る前)結果外れから得られた知見
教科書ストーリー「尖度が先・RMSが後」は綺麗に現れない的中(ただし想定と別機構)RMS が1日先行。感度は物理でなくベースラインの静けさ(CV1.4%)が支配(→④主張4)
RMS 先行の原因は潤滑膜切れ→広帯域上昇(仮説)棄却実体は離散的な櫛の成長。仮説は棄却されたが「広帯域か離散線か」の判別設計を生んだ
236.4Hz は格子に乗りリーケージしない(エージェント出題)誤り(本人が指摘)0.4bin ずれでピークbinに57%しか残らない。問題文も検証対象
240.0Hz の常在線は電源系 4×60Hz(エージェント仮説)誤りΔf=10Hz の bin 量子化の罠。Δf=1Hz で測ると 237Hz=B3 の BPFO 伝播だった
外輪欠陥に ±fr 側帯は立たないIMS で的中 / CWRU では弱く存在側帯は二値でなく「荷重に占める回転同期成分の比率」に比例する連続量
エンベロープは RMS より数時間早い外れ(確定時刻基準で RMS と同等)レイリー床の CV 21% が集約ゲインを相殺。④主張4の再演
B3 の 237Hz 線がベースラインを汚す(「237Hz の壁」)不発加算成分と変調成分は別物 — 帯域通過は加算線を消す。外れたことで両者の区別が明確になった
FLI(周波数ロック)は健全軸受で絶対に鳴らない外れ(143件)偶然ロックは一様床モデルで1試行16%(実装定義: 任意位置3bin幅×3点連続)と高頻度で、試行の反復により頻発(多重比較)。アンカーで検定空間を絞り解消(→④主張3)
CWRU 玉欠陥で 2×BSF 線が立つ外れ採用した帯域探索と指標では 2×BSF 成分を検出できず(→④主張1)。切り分け実験を自設計して判定
内輪欠陥は BPFI ± fr 側帯を伴う的中荷重域変調の幾何モデルが実データで閉じた
fs=20.48kHz 採用(Readme の矛盾に対する判断)的中櫛間隔 236Hz が離散仮説(20.48k: 231.7〜236.4 / 20k: 237.3〜242.1)を判別
故障基準 rms>10×ベースライン不成立(最大0.725g<0.77g)5×に開示付き改訂。評価パラメータの事後変更は必ず開示する
Set1転移: B3内輪は BPFI 主線+側帯が明瞭に立つ(高確度)外れ線/床は Set2 の 1/10 以下。側帯分散・帯域スキャンの2故障源混同・センサ向きの仮説3本を残した(未検証)
Set1転移: B4転動体の 2×BSF 検出確度は 20〜30%(出にくい)外れ(良い方向)278〜279Hz の位置指紋が成立。事前確度と実測の対称反転
301Hz 線は fr 実測で BPFI / 9×fr を判別できる外れアンカー線の S/N 不足で判定不能。判別測定にも成立条件がある

降格した知見(主軸から外したが記録に値するもの)

④ 転移可能な知見(主張4本)

主張1: ラベルの存在は、シグネチャの励起の十分条件ではない

CWRU の玉欠陥ファイル(118.mat)は「玉に人工欠陥あり」とラベルされているが、 尖度×帯域のグリッド探索(500Hz〜Nyquist)で全帯域の尖度≈3・BSF 族の線は全帯域で床レベル であり、採用した手法の範囲では欠陥シグネチャを検出できなかった(物理的不存在までは示さない)。判定表(どの結果ならどの解釈か)を先に書いてから測定し、 文献(Smith & Randall 2015 — 当該記録を診断不成功に分類)と独立に整合した。教師あり学習のベンチマークにおいて、 ラベルを無条件に Ground Truth と扱う前に、物理シグネチャの励起を検証する工程が要る。 これは異常検知に限らず、ラベル付きデータ一般への教訓。

主張2: 「いつ検出できたか」の主張には、検出器の因果性の開示が要る

最適な帯域(3〜6.5kHz)は day5 の櫛を見て初めて分かる — それを使って「day 3.7 に検出 できた」と主張するのは、未来の情報から作った部品で過去の検出力を測る「先回り (lookahead)」であり、オンライン運用の性能証明にならない。 対策は回顧(上限値)と因果(各時点までの情報のみで帯域選定)の2本立て報告で、 両者の差(3.03日 vs 2.99日)自体が「オンライン化のコスト」という情報になる。 時系列上の検出・予測性能を語るすべての仕事で、検出器の部品がいつの情報から 作られたかの開示は、結果の数字と同格に重要である。

主張3: 周波数の同一性と発生源の位置は、直交する2つの検査である

周波数ロック検査(FLI-v2: 事前計算の BPFO への3点連続ロック×振幅ゲート)は「BPFO 近傍の 周期成分の存在」を支持するが、「どの軸受か」は識別しない — 伝播してきた線も周波数は 同じだから。位置の検査は空間比較(max-channel 規則: 自チャンネルが全チャンネル中最大の ときのみ発報)が担う。本 run では発生源 B1 の線/床比が常に最大であり、帰属誤りを抑制できた(16件→0件、検出時刻は 不変)。比較は全4チャンネルで行い、B3 を誤報統計から除外した理由(健全期から別の異常 シグネチャを持つ個体 — 本文C1〜C2で確認)も開示した。ただしセンサ感度差・伝達経路・ 同時故障ではこの前提が崩れるため、チャンネル間校正が前提になる。 なお**2層の合成は自明ではない**: 持続条件(3点確定)を合成条件のどこに掛けるかで結果が 変わり、単点ゲートの合成では後期4クラスタが残存、条件全体に3点確定を掛けた合成で 0件となった(両定義と、後者が前者の観測後に定義された順序を開示)。多センサ系の異常検知は「何が起きたか」と「どこで 起きたか」を別の検査に分けると、それぞれ単純な部品で頑健になる。

主張4: 検出感度は、物理的応答とベースライン変動の積で決まる

教科書の「尖度が先・RMS が後」は本データで逆転した(RMS 3.70日 vs 尖度 4.79日)。 RMS が先行した主因は物理ではなく、ベースライン変動係数 1.4% という変動の小ささである(+5σ が わずか +7% の変化に相当する)。同じ理屈で、S/N を濃縮するはずのエンベロープ線/床比も レイリー床の CV 21% が制約となり RMS と同等にとどまった。指標の優劣は固有の性質ではなく、 その現場のベースライン統計との積で決まる。実プラントでは RMS ベースラインの安定は成立しにくい (負荷・プロセス変動)ため、この積の構造ごと評価してから指標を選ぶ必要がある。

⑤ 転移テスト — 独立 run(Set1)での検証

Set2 で開発した検出器を、開発に使っていない Set1(34.5日・8ch・B3内輪+B4転動体の 2故障同時進行)に適用した。事前の予想: B3 は BPFI 296.9Hz+側帯が明瞭に立つ(高確度)、 B4 は 2×BSF 279.8Hz だが検出確度 20〜30%(CWRU の経験から)。

C7 Set1 trend
C7: Set1 の8ch時間領域トレンド。尖度(下段・対数)が B4(緑, day28)→B3(橙, day31.5)の順に 先行し、RMS(上段)は day33.5 以降に急増 — Set2 と逆順。最終盤の B3 は尖度が数十から3〜8へ低下 しながら RMS が 0.58g へ増大し、剥離全面化によるガウス化を示す。
測定結果判定
時間領域の順序尖度が先行(Set2 と逆順)。ただし「感度=物理×ベースライン変動」の同一原理が、ギャップ・再起動で変動する Set1 の RMS ベースラインを通じて逆順まで説明する原理は転移
最終盤の B3尖度が数十→3〜8 へ低下しながら RMS が 0.58g へ急増 — 剥離全面化によるガウス化を完全な形で観測C1 理論と整合
B4(低確度と予想)2×BSF −0.3〜−0.6% に一貫した位置指紋、周波数分離型帰属で自ch勝率 73%予想外の成立
B3(高確度と予想)エンベロープ線/床は中央値 1.42(Set2 の 1/10 以下)、側帯も床レベル不成立
B3 窓の帰属自ch勝率 35%(2故障同時で部分破綻 — 事前に本人が設計した破綻シナリオの現実化)部分破綻
健全chの早期誤報0 件(Set2 から再現)転移

B3 窓では 301Hz の線が観測されたが、窓の分離性検証が回転高調波(9×fr = 300.0Hz が 窓内)を見ていなかったことが判明。fr を実測して判別する測定を設計・実行したが、 fr 線族の S/N 不足で要求精度に届かず、301Hz の起源同定は判定不能と確定した。 教訓: 窓の分離性検証には k·fr 高調波族を必須で含める / 判別測定にも成立条件がある。

結論: 開発 run の検出器は「そのまま」は独立 run に転移しない。転移しなかった 箇所(2故障同時の帰属・分位点の脆弱性・帯域スキャンの前提)はいずれも開発中に弱点として 特定していたものの現実化であり、弱点予測の的中を転移テストの成果として記録する。