転がり軸受の振動診断 —
公開データと自前実装で作る「2層防御」の異常検知
CWRU Bearing Data(人工欠陥・正解既知)で手法を固定し、NASA IMS Bearing Dataset
(run-to-failure)に適用して検出器を設計・評価したケーススタディ。信号処理のコア数学
(FFT・Welch PSD・Hilbert 変換・時間領域指標)はすべて src/lib/ に自前実装し、
scipy/numpy と突き合わせて検証した。2026-07 制作。
① 成果
副産物として、検証プロセス自体が ベンチマークのラベルとシグネチャの不一致1件・ 公式Readmeとデータ実体の食い違い3件を検出した。
② パイプラインと技術的選択
| Stage | 内容 | 核となる技術的選択 |
|---|---|---|
| C0 | 観測設計とデータ検分 | 故障特徴周波数(BPFO 236.4Hz 等)をデータを見る前に幾何から手計算し予想値とする。検算則 BPFO+BPFI=Z·fr ほか |
| C1 | 時間領域指標(RMS・尖度・波高率) | 定義規約(平均除去・Pearson・1/N)を実装前に明示 → scipy と rel=0 一致 |
| C2 | DFT/FFT・リーケージ・Welch PSD | セグメント長 2048 は Hann 主葉幅×BPFO/BPFI 間隔から導出。fs の矛盾(20k vs 20.48k)を櫛の間隔実測で決着 |
| C3 | エンベロープ解析(Hilbert) | 正解既知の CWRU で known-answer test。帯域選定は PSD 比最大の手続きに固定(自由度の事前封鎖) |
| C4 | IMS run-to-failure へ適用 | 回顧帯域(上限)と因果帯域(因果的な帯域尖度スキャン+中央値5)の2本立てで lookahead を開示 |
| C5 | しきい値設計と評価 | 運用曲線(リードタイム vs 誤報)+誤報の時刻内訳+kσ較正。FLI-v2 と max-channel 規則の2層防御を検証 |
③ 学習の過程 — 外れた予想も記録する
各ステージで「測る前に予想を立ててから測る」を徹底した。事前の予想・仮説は 15件で、的中4・外れ11(うち2件はエージェント側の誤りを学習者が計算で正したもの)。 外れた予想は、原因の分析を通じて理解の修正につながった。
| 事前の予想(測る前) | 結果 | 外れから得られた知見 |
|---|---|---|
| 教科書ストーリー「尖度が先・RMSが後」は綺麗に現れない | 的中(ただし想定と別機構) | RMS が1日先行。感度は物理でなくベースラインの静けさ(CV1.4%)が支配(→④主張4) |
| RMS 先行の原因は潤滑膜切れ→広帯域上昇(仮説) | 棄却 | 実体は離散的な櫛の成長。仮説は棄却されたが「広帯域か離散線か」の判別設計を生んだ |
| 236.4Hz は格子に乗りリーケージしない(エージェント出題) | 誤り(本人が指摘) | 0.4bin ずれでピークbinに57%しか残らない。問題文も検証対象 |
| 240.0Hz の常在線は電源系 4×60Hz(エージェント仮説) | 誤り | Δf=10Hz の bin 量子化の罠。Δf=1Hz で測ると 237Hz=B3 の BPFO 伝播だった |
| 外輪欠陥に ±fr 側帯は立たない | IMS で的中 / CWRU では弱く存在 | 側帯は二値でなく「荷重に占める回転同期成分の比率」に比例する連続量 |
| エンベロープは RMS より数時間早い | 外れ(確定時刻基準で RMS と同等) | レイリー床の CV 21% が集約ゲインを相殺。④主張4の再演 |
| B3 の 237Hz 線がベースラインを汚す(「237Hz の壁」) | 不発 | 加算成分と変調成分は別物 — 帯域通過は加算線を消す。外れたことで両者の区別が明確になった |
| FLI(周波数ロック)は健全軸受で絶対に鳴らない | 外れ(143件) | 偶然ロックは一様床モデルで1試行16%(実装定義: 任意位置3bin幅×3点連続)と高頻度で、試行の反復により頻発(多重比較)。アンカーで検定空間を絞り解消(→④主張3) |
| CWRU 玉欠陥で 2×BSF 線が立つ | 外れ | 採用した帯域探索と指標では 2×BSF 成分を検出できず(→④主張1)。切り分け実験を自設計して判定 |
| 内輪欠陥は BPFI ± fr 側帯を伴う | 的中 | 荷重域変調の幾何モデルが実データで閉じた |
| fs=20.48kHz 採用(Readme の矛盾に対する判断) | 的中 | 櫛間隔 236Hz が離散仮説(20.48k: 231.7〜236.4 / 20k: 237.3〜242.1)を判別 |
| 故障基準 rms>10×ベースライン | 不成立(最大0.725g<0.77g) | 5×に開示付き改訂。評価パラメータの事後変更は必ず開示する |
| Set1転移: B3内輪は BPFI 主線+側帯が明瞭に立つ(高確度) | 外れ | 線/床は Set2 の 1/10 以下。側帯分散・帯域スキャンの2故障源混同・センサ向きの仮説3本を残した(未検証) |
| Set1転移: B4転動体の 2×BSF 検出確度は 20〜30%(出にくい) | 外れ(良い方向) | 278〜279Hz の位置指紋が成立。事前確度と実測の対称反転 |
| 301Hz 線は fr 実測で BPFI / 9×fr を判別できる | 外れ | アンカー線の S/N 不足で判定不能。判別測定にも成立条件がある |
降格した知見(主軸から外したが記録に値するもの)
- 乖離の3スケール分離: ライブラリ照合の乖離は定義差 O(1)/補正差 O(1/N)/丸め 10⁻¹⁶ に分離する。照合閾値は「小さく」ではなく分離したい2スケールの空隙(10⁻¹²)に置く。
- 多重比較と検定空間の直接削減: Bonferroni が閾値を α/m に切り詰めるのに対し、 ドメイン知識(事前計算の BPFO)で無関係な仮説を事前排除する方が検出力を犠牲にしない。
- メタデータは検分してから使う: IMS 公式 Readme とデータ実体の食い違い3件 (fs 表記、Set3 のフォルダ名、Set3 のファイル数と期間)。公開ベンチマークでも「何が・ どう測られたか」の検分が分析より先。
- 側帯は連続量: 「外輪=側帯なし」という教科書規則は、荷重の回転同期成分比率に 比例する連続量として書き直すと3つのデータ(内輪36%/CWRU外輪14%/IMS外輪≈0%)に整合。
- 測定点の選定が検出可能性を決める: 低周波は構造を遠くまで伝わり(B3 の BPFO 線が 全チャンネルを汚染)、高周波は局所に留まる(B1 の初期欠陥は B3 のセンサでは検出できなかった — 本 run の実測)。センサ配置はアルゴリズム以前の設計変数。
④ 転移可能な知見(主張4本)
主張1: ラベルの存在は、シグネチャの励起の十分条件ではない
CWRU の玉欠陥ファイル(118.mat)は「玉に人工欠陥あり」とラベルされているが、 尖度×帯域のグリッド探索(500Hz〜Nyquist)で全帯域の尖度≈3・BSF 族の線は全帯域で床レベル であり、採用した手法の範囲では欠陥シグネチャを検出できなかった(物理的不存在までは示さない)。判定表(どの結果ならどの解釈か)を先に書いてから測定し、 文献(Smith & Randall 2015 — 当該記録を診断不成功に分類)と独立に整合した。教師あり学習のベンチマークにおいて、 ラベルを無条件に Ground Truth と扱う前に、物理シグネチャの励起を検証する工程が要る。 これは異常検知に限らず、ラベル付きデータ一般への教訓。
主張2: 「いつ検出できたか」の主張には、検出器の因果性の開示が要る
最適な帯域(3〜6.5kHz)は day5 の櫛を見て初めて分かる — それを使って「day 3.7 に検出 できた」と主張するのは、未来の情報から作った部品で過去の検出力を測る「先回り (lookahead)」であり、オンライン運用の性能証明にならない。 対策は回顧(上限値)と因果(各時点までの情報のみで帯域選定)の2本立て報告で、 両者の差(3.03日 vs 2.99日)自体が「オンライン化のコスト」という情報になる。 時系列上の検出・予測性能を語るすべての仕事で、検出器の部品がいつの情報から 作られたかの開示は、結果の数字と同格に重要である。
主張3: 周波数の同一性と発生源の位置は、直交する2つの検査である
周波数ロック検査(FLI-v2: 事前計算の BPFO への3点連続ロック×振幅ゲート)は「BPFO 近傍の 周期成分の存在」を支持するが、「どの軸受か」は識別しない — 伝播してきた線も周波数は 同じだから。位置の検査は空間比較(max-channel 規則: 自チャンネルが全チャンネル中最大の ときのみ発報)が担う。本 run では発生源 B1 の線/床比が常に最大であり、帰属誤りを抑制できた(16件→0件、検出時刻は 不変)。比較は全4チャンネルで行い、B3 を誤報統計から除外した理由(健全期から別の異常 シグネチャを持つ個体 — 本文C1〜C2で確認)も開示した。ただしセンサ感度差・伝達経路・ 同時故障ではこの前提が崩れるため、チャンネル間校正が前提になる。 なお**2層の合成は自明ではない**: 持続条件(3点確定)を合成条件のどこに掛けるかで結果が 変わり、単点ゲートの合成では後期4クラスタが残存、条件全体に3点確定を掛けた合成で 0件となった(両定義と、後者が前者の観測後に定義された順序を開示)。多センサ系の異常検知は「何が起きたか」と「どこで 起きたか」を別の検査に分けると、それぞれ単純な部品で頑健になる。
主張4: 検出感度は、物理的応答とベースライン変動の積で決まる
教科書の「尖度が先・RMS が後」は本データで逆転した(RMS 3.70日 vs 尖度 4.79日)。 RMS が先行した主因は物理ではなく、ベースライン変動係数 1.4% という変動の小ささである(+5σ が わずか +7% の変化に相当する)。同じ理屈で、S/N を濃縮するはずのエンベロープ線/床比も レイリー床の CV 21% が制約となり RMS と同等にとどまった。指標の優劣は固有の性質ではなく、 その現場のベースライン統計との積で決まる。実プラントでは RMS ベースラインの安定は成立しにくい (負荷・プロセス変動)ため、この積の構造ごと評価してから指標を選ぶ必要がある。
⑤ 転移テスト — 独立 run(Set1)での検証
Set2 で開発した検出器を、開発に使っていない Set1(34.5日・8ch・B3内輪+B4転動体の 2故障同時進行)に適用した。事前の予想: B3 は BPFI 296.9Hz+側帯が明瞭に立つ(高確度)、 B4 は 2×BSF 279.8Hz だが検出確度 20〜30%(CWRU の経験から)。
| 測定 | 結果 | 判定 |
|---|---|---|
| 時間領域の順序 | 尖度が先行(Set2 と逆順)。ただし「感度=物理×ベースライン変動」の同一原理が、ギャップ・再起動で変動する Set1 の RMS ベースラインを通じて逆順まで説明する | 原理は転移 |
| 最終盤の B3 | 尖度が数十→3〜8 へ低下しながら RMS が 0.58g へ急増 — 剥離全面化によるガウス化を完全な形で観測 | C1 理論と整合 |
| B4(低確度と予想) | 2×BSF −0.3〜−0.6% に一貫した位置指紋、周波数分離型帰属で自ch勝率 73% | 予想外の成立 |
| B3(高確度と予想) | エンベロープ線/床は中央値 1.42(Set2 の 1/10 以下)、側帯も床レベル | 不成立 |
| B3 窓の帰属 | 自ch勝率 35%(2故障同時で部分破綻 — 事前に本人が設計した破綻シナリオの現実化) | 部分破綻 |
| 健全chの早期誤報 | 0 件(Set2 から再現) | 転移 |
B3 窓では 301Hz の線が観測されたが、窓の分離性検証が回転高調波(9×fr = 300.0Hz が 窓内)を見ていなかったことが判明。fr を実測して判別する測定を設計・実行したが、 fr 線族の S/N 不足で要求精度に届かず、301Hz の起源同定は判定不能と確定した。 教訓: 窓の分離性検証には k·fr 高調波族を必須で含める / 判別測定にも成立条件がある。
結論: 開発 run の検出器は「そのまま」は独立 run に転移しない。転移しなかった 箇所(2故障同時の帰属・分位点の脆弱性・帯域スキャンの前提)はいずれも開発中に弱点として 特定していたものの現実化であり、弱点予測の的中を転移テストの成果として記録する。